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涌谷町の礎を築いた名君とはどんな人?

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こんにちは。総務課の佐藤です。
お盆も終わりお客様も帰られほっと一息しているこの頃です。又、朝夕が涼しくなり日中との気温差を感じる今日この頃ですが体調は崩していませんか。
今回は、涌谷町の礎を築いた伊達安芸宗重公について少しご紹介をしたいと思います。

伊達安芸宗重公とはどんな人?

  
涌谷伊達家三代当主 伊達定宗の次男として元和元年11月5日誕生した。
成長後天童家に婿養子となったが、世子であった兄(宗美)が29歳で死去したため実家に呼び戻され世子となった。
安慶4年 父 定宗の隠居により家督を相続し、涌谷伊達家第四代当主となる。この時、涌谷伊達家当主代々の受領名・安芸守を称して、伊達安芸宗重と名乗りました。
江戸時代前期に涌谷邑主として、仙台藩の重鎮として名を馳せた人です。
領内に起きた谷地問題をきっかけとして、なんとか仙台藩の安泰を図りたいと仙台藩の現状を幕府に訴え出ました。この訴えは江戸幕府に届き、幕府大老の裁定を迎えることとなった。
安芸宗重公の行動は、最後まで正義を貫いた武士の譽と称賛され、仙台藩の安泰を取り戻しました。
寛文11年3月27日、幕府大老酒井邸にて更に詮義が行われている時。
不利な立場に立たされた被告側の原田氏は背後から突然宗重に斬りつけ、不意をつかれた宗重は負傷をしながらも刀を抜いて応戦するが、深手を負ってその場で絶命した。57歳でした。お墓は、涌谷町の見龍寺にあります。

涌谷要害跡(涌谷城跡)

  
天正19年、亘理城から亘理重宗が入城し、以降涌谷伊達氏の居城として22,000石を領していた。
涌谷城が近世城郭として整ったのは二代城主重守の時代で、三代定宗の時代に完成した。 明治維新まで存続していましたが、新政府によって涌谷県庁が建てられ石垣と隅櫓を残し取壊されてしましました。
現在は、城山公園と呼ばれ、桜の名所として知られています。
又、涌谷町立資料館が建てられており、涌谷伊達氏の寛文資料などが展示されています。

<まとめ>

宗重が主要人物の一人として描かれている小説「樅の木は残った」があります。
安芸宗重公は、周囲の信頼を受け、才覚を生かし行動力があったので現在の涌谷町の礎を築いて下さったと思います。
安芸宗重公の胸像は、涌谷神社の境内にあります。お墓は見龍寺にあります。
涌谷町に来た時は、涌谷城や安芸宗重公の遺跡を見てみて下さいね。

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